稲盛和夫の家族構成や経歴は?リーダーシップの名言をまとめてみました。

雑記的なもの

2022年8月24日(水曜日)午前8時25分、老衰のため、京都市伏見区の自宅で死去した稲盛和夫(90)。
まずは日本を代表する素晴らしい経営者が亡くなったことに、お悔やみを申し上げます。

京セラ、KDDI(第二電電)の創業者としてとても有名ですが、もう少し掘り下げて家族構成や経歴をご紹介してきます。
そして、そのリーダーシップに関しての名言もまとめてみました。
最後までお読み頂き、経営者としてだけでなく「稲盛和夫」としての人柄から故人を今よりもう少し知って、皆さんとご一緒に偲びたいと思います。

京セラ創業者の稲盛和夫さん死去 90歳、一代で世界的メーカーに
電子部品大手京セラ(京都市伏見区)の創業者で同社名誉会長、元京都商工会議所会頭の稲盛和夫(いなもり・かずお)氏が24日午前8時25分、老衰のため、京都市伏見区の自宅で亡くなった。90歳。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長女金澤しのぶさん。後日、お別れの会を開く予定。
引用:Yahoo!ニュース

稲盛和夫の家族構成は?

稲盛和夫の家族構成です。

ご両親に関して

父:畩市(けさいち)
母:キミ

父、畩市(けさいち)は、「稲盛調進堂」という印刷業を営んでいました。
当時の情勢を鑑みると、小さい頃から家業を手伝っていたでしょうから、そこで「社会の仕組み」や「商売のイロハ」を学んだようですね。

次は、ご兄弟です。

長男:利則(としのり)
次男:和夫
三男:
長女:
次女:

ご兄弟としては、京セラ専務も務めた長男の利則さんが有名ですが、他の弟や妹については特定に至るような情報も無かったので、事業とは関係無く普通に生活されているか、時代を考えると若くして他界されてしまったのかも知れませんね(あまりにも語られておらず、戦争前後の生まれであることを考えると…残念ですがあってもおかしくないですね)。

兄弟の人数ですが、2019年7月のダイヤモンドオンラインでは「兄が1人、妹が2人、弟が1人」と和夫さん本人が発言をしていました。
しかし、2021年12月のPHPオンライン衆知に掲載された記事(※1995年4月の講話を再編集)では7人兄弟と発言しており、詳細に関しては不明です。
ココではご本人の発言を採用し、5人兄弟として記載しております。

自身の著書の中からほのぼのとしたエピソードを1つ…

私は大の内弁慶だった。母親の姿が見えなくなると何時間でも泣いていた。兄が1人、妹が2人、弟が1人いて、家は印刷屋をやっていた。母親の着物の裾をつかんで離さないものだから、母親は仕事の手伝いもできない、生まれたばかりの兄弟の面倒も見られなかった。小学校に行くようになっても、母親に付いてきてもらった。
引用:DIAMOND ONLINE

あらあらあら…とってもお母さんっ子の甘えっ子だったんですね。
それでもやはり、いずれは親離れするんですね。
何年生まで付いてきて貰ったのか?気になるところですね?(ソコ?w)

そして妻とお子さん

妻:朝子
長女:金澤しのぶ(1961年生まれ)
次女:千晴
三女:瑞穂

松風工業を退社した翌日1958年12月14日、稲盛和夫は松風工業時代の同僚だった須永朝子と結婚。
馴れ初めは松風工業時代に研究職として従事し、寝食を忘れ研究していた和夫にお弁当を作ったのがきっかけのようです。当時朝子は自分だと名乗らず机にお弁当を置いていたようですが、その誰の手作り弁当かもわからないお弁当を、和夫は食べていたようですw。
もしかしたら、なんとなく分かっていたのかも知れませんね。

妻朝子の父は農学博士として活躍をしていた須永長春(ながはる)です。
須永長春の家系は朝鮮王朝に仕えた軍人という一族だったようですが、1895年の乙未(いつび)事変の関係者として、長春の父は日本に亡命しました。
その後酒井ナカと結婚、朝子の父長春が生まれた。

朝子はとてもできた嫁で、性格は控えめ、気配り上手と言われています。
稲盛和夫は、子育てをした記憶がなく、子育てや家庭内は全て妻任せで、仕事一筋だったと振り返ってます。
しかも、そんな忙しい旦那を帰りが遅くても必ず寝ずに待っていてくれたそうです。
今では考えられませんが、昭和の亭主関白の姿としては当たり前の姿でした、しかし、これは正に昭和の母である朝子のおかげですね。
誰ですか?今羨ましいって思った方は?w

家族構成の最後は稲盛和夫と朝子の間に授かったお子さん、お孫さんについてです。

稲盛和夫-朝子はお子さんを3人(いずれも娘)授かりました。
姉妹の名前はしのぶ、千晴、瑞穂で、全員結婚し家を離れました。
長女しのぶは「稲盛財団」の副理事長として長く父を支えていましたが、2019年に世代交代し理事長に就任、以降は表舞台にも出られるようになりました。

今回、父・稲盛和夫の葬儀・告別式の喪主も務めます。

次女・三女についてはあまり表に出られていないようですね。
かろうじて三女・瑞穂は稲盛財団の役員として名を連ねています。
そして、その役員名簿の名前が「稲盛」のままであることから、婿養子を取られたのでしょうかね?お孫についても、全く公表されていないので、一般人として暮らしているのでしょうから、これ以上ココでも触れずにおこうと思います。
ただし、ご本人が孫に「お寿司を食べにいこう」とご機嫌を取ったエピソードがあるので、孫がいることは間違いないでしょう。

ここまで著名な方でお子さんやお孫さんが全く知られていないのも珍しいし、後押ししている様子も見受けられないので、お子さん、お孫さんともに親(祖父)の七光りを得ず、自力で頑張られているのでしょうね。
この辺にもお子さん達の教育に口を挟まないと言いながらも、経営哲学を感じますね。
昨今すぐに自分の子供だとアピールする人が多い中、中々厳しい育て方をしていると感じますね。

稲盛和夫の経歴は?

稲盛和夫の経歴はどうでしょう、まとめてみました。

生誕:1932年1月21日
鹿児島県鹿児島市薬師町
死没:2022年8月24日(90歳没)
京都府京都市伏見区
出身校:鹿児島大学工学部
職業:実業家
影響を受けたもの:西片擔雪、中村天風、松下幸之助

主な経歴

1955年:松風工業入社
1958年:同退社
1959年:京都セラミック設立
1966年:同社長就任
1969年:大阪証券取引所に株式上場
1973年:ジャパン・ソーラーエナジー設立
(現在は京セラが事業を継続)
1983年:盛友塾(現:盛和塾)開塾
1984年:第二電電(DDI)設立
1984年:財団法人稲盛財団を設立・理事長就任
1988年:日本セラミックス協会会長就任
2009年:世界起業家賞受賞
(World Entrepreneurship Forum)
2010年:日本航空会長就任(無報酬)
2017年:フォーブス日本長者番付49位
(資産額840億円)
2018年:紺綬褒章飾版賞杯受賞
2019年:鹿児島県名誉県民受賞
2019年:名誉大英勲章KBE受賞
2020年:紺綬褒章飾版木杯受賞

主だったものだけ、まとめて書きましたが、まだまだ色々とあります。
これだけでも、偉業を成し遂げ、世界から評価されているのが分かりますね。

稲盛和夫のリーダーシップ名言!

では、最後に名言はいっぱいありますが、その中でもリーダーシップに関わるものをピックアップしてみました、ではどうぞ!

有名な名言の一つですね、一見リーダーシップに関係するの?と思われるかも知れませんが、この背中にみんな着いて来るので大切なことだと思いますね。

こんなことも言われてますが、それを集約したものではないでしょうか?

リーダーの行為、態度、姿勢は、それが善であれ悪であれ、本人一人にとどまらず、集団全体の野火のように拡散する。集団、それはリーダーを映す鏡なのである。
リーダーは、常に謙虚でなければならない。謙虚なリーダーだけが、協調性ある集団を築き、その集団を調和のとれた永続する成功に導くことができる。
信頼関係は自分自身の心の反映だ。
たとえ、自分が損をしたとしても、人を信じていく。その中でしか、信頼関係は生まれない。信頼とは、外に求めるのではなく、自らの心の内にもとめるべきものなのだ。人生というのは魂の修行の場ではないかと考えている。苦難は魂を純化、深化させるために与えられている試練であり、成功もその人間がどこまで謙虚でいられるかを試すものでしかない。
どうしてもこうでなければならない、こうしたいという、強い意志が経営者には必要なのである。
神が手を差し伸べたくなるぐらいまでがんばれ。
部下を叱ればいいというものではないし、褒めればいいというものでもない。経営者の目的は、組織を正常に機能させること。そのためには優しさと厳しさの両面が必要だ。
どんな仕事でも喜んで引き受けて下さい。やりたくない仕事でも、意に沿わない仕事でも、あなたを磨き強くする力を秘めているからです。
世の中に失敗というものはない。チャレンジしているうちは失敗はない。あきらめた時が失敗である

どうですかね?
分かっていても中々行動にするのは難しいですよね。
コレを期に、心に留めて一つでも実施しようとするだけでも、故人も喜ばれるのでは無いかとおもいます。

最後に…

老衰のため死去した稲盛和夫の葬儀・告別式は親族のみで執り行われ、後日お別れの会が開かれるそうです。
本当に偉大な経営者の訃報に残念でなりません。
改めてお悔やみ申し上げます。
合掌

今回も最後までお読み頂きありがとうございました。

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